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お知らせ

紅花事業記念講演&市長対談


 志村 恭子  社会連携特任教授
 久松 眞   伊賀研究拠点 副所長


 
 928日午後1時半からハイトピア伊賀で、芭蕉翁生誕370年記念事業「紅花事業記念講演&市長対談」が開催されました。この催しは、芭蕉翁生誕

370
年記念事業実行委員会が主催、三重大学伊賀研究拠点も後援で協力しました。

紅ばなネット代表であり、三重大学伊賀研究拠点で進めている地域資源利活用研究会(その一つに紅花研究会があります)のメンバーでもある峠美晴

氏が司会進行。参加者は、関係者を含め200名ほどで大盛況でした。
 

第1部は、染織史家・染色家の吉岡幸雄氏が「紅花と芭蕉さん」のタイトルで記念講演がありました。染色家の長男でありながらが当初はジャーナ

リスト志望であったとか。東大寺お水とりの際の供物に紅花染めの和紙で造られた椿の造花を代々吉岡家が造ってきたそうです。この伝統を絶やさぬ

よう家業の染色家を継ぐ決心をされました。こ
の仕事に加え、古代の色の再現等染織史家としても数々の業績を挙げてこられました。日本人がこよな

く愛した口紅の紅の原料は紅花であり、大和や京都に近い伊賀地域は紅花の栽培が古くは活発におこなわれていたことを初めて知りました。

平安期には、紅花の産地の筆頭に伊賀の国が挙げられています。また、纏向遺跡(まきむくいせき)から大量の紅花花粉が検出されたことから、大和

周辺における紅花栽培と染色への利用は邪馬台国の時代にまでさかのぼり、大和に近い伊賀における紅花栽培は相当古い時期から行われていたもので

はないかと示唆されました。一方、後に紅花の主要な産地となる出羽(山形)の名は平安期の文献にはなく、北前船による海運の発達が出羽の興隆に

寄与したようで、紅花の産地として出羽(山形)の名が文献に登場するのは元禄の頃からとのこと。奥の細道で紅花の俳句を二句詠まれた芭蕉さんの

心境を伊賀の紅花との係わりの可能性についてもお話しされ大変興味深く伝わってきました。聴衆を染織史家としてのお立場からも歴史的ロマンにい

ざなう講演でした。

2部は、「伊賀のこと京都のこと」で吉岡氏と岡本栄伊賀市長との対談。市長が冒頭で、今座っている椅子は旧上野市庁舎(伊賀市南庁舎)を設計

した世界的建築家「坂倉準三」のものであり、吉岡先生がお座りになるにふさわしい椅子であることを熱弁されました。

 京都の「おけら参り」の火縄が伊賀産の竹を材料としたものであることや伊賀弁が大阪弁よりも京都弁との共通点が多いことなど市長の蘊蓄により

対話が広く展開、京都と伊賀のつながりの深さについても話が盛り上がりました。また、和紙製造業者の急激な減少で古典的な染め物など伝統技術の

継承が危惧されていること、これらの技術の継承は皮膚感覚で覚える実習との事なども話し合われました。紅花の収穫から吉岡氏の工房における紅

花染めの作業と和紙の染色の概要がDVDにより紹介されました。何とか映った一コマ( a - j )を使用して紅花染を簡単に紹介します。


(a)

(b)

(c)

(d)

(e)
 
(f)  

(g)

(b)紅花に含まれる黄色染料をまず冷水抽出で除き、(c)次にアルカリ性の灰汁で赤色染料をもみ出し、(d)圧搾して染液を抽出。(e)これに食酢を入れ

て中和、染浴の中で布を柔らかくたぐり寄せる作業をくり返し、(f,g)最後に赤く染まった布を烏梅(うばい)水の中で優しくたぐって色を定着します


(h)

(i)

(j)

(h)染浴の底の紅のおり(沈殿物)をお皿に上塗り乾燥した紅皿は口紅に、(i)和紙に塗って東大寺お水とりの際の供物の(j)椿の造花が作られます。

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