松阪山城の会 例会報告

2016.9.15

加藤 進 社会連携特任教授

 9月15日(木)は例会です。天候不順で足場が悪いので、大河内公民館で勉強会でした。実は先週も坂内城跡を探求する予定でしたが雨で流れました。今回は全開9月8日と合わせて報告します。

9月8日 固写真(航空)から見た大河内城跡:吉田本居記念館長

9月14日 狼煙考ーサイエンスからの想いを馳せてー:加藤 進


写真1

でした。写真1は吉田館長から提供されたもので、1980年代、伊勢自動車道が建設される前に、城跡の近くにあった「養徳寺」の発掘中です。左上に発掘現場が白く映っております。右上の白い部分は恐らくはみかん畑に開墾された本丸下の部分です。西の丸や本丸あるいは馬場がけっこう広く映っています。マムシ谷の様子も今ほどうっそうとはしていません。航空写真ならではのだいご味です。この写真を見てから本丸から西の丸に移動し、さらにマムシ谷の入口まで移動しました。そうして会長の解説で現地研修を行いました。西の丸直下にある堀切はあまり知られていないようでした。会員から「おっ!」という歓声があがりました。

写真2は狼煙考の風景です。今回は13人会員が集まりました。扇月堂の饅頭を食いながら講演会となりました。私は11月に琉球大学院で行う講義の予行演習も兼ねて行いました。内容は11月までお預けです。

なお、9月16日に再度調査に大河内城跡を訪問しました。矢津川側からマムシ谷に登り、大堀切を攻めるコースです。6月に地元の方がつけてくれた道はもう雑草で生い茂り少し迷ってしまいました。図3にある大堀切(j)の両方の掘削平地を見ました。北側は火薬庫、南側は曲輪?(開墾の影響がでています)です。図3には土橋が記入されていますが、これもはっきり確認できます。また堀切jから火薬庫への道らしき犬走り的な(c)もかろうじて確認ができます。曲輪(14)で面白い物を見つけました。妙な穴です。みかん畑の肥壺かも知れません。それを過ぎると小さな堀切(i)です。ここも石積みがされており開墾の跡が見受けられます。ちょうどその端に大河内城跡では少ない崩れかけた土塁(8)があります。山本氏はこのあたりに虎口の存在を示唆していますが、素人の私には確認が困難でした。さらに進むと広い曲輪(5)に出ます。残念ながら一面を竹で覆われています。この平らを南20m程度に進むと、本丸の下にある曲輪に出そうです。この探求は次回に回します。その下には幅1mほどの犬走りがあります。このあたりの写真を添付しておきます。

この会の母体は、石像研究会、山岳会、歴史を学ぶ会、ガイドボランティアと様々です。いろいろな情報を持った方々が参加しています。おかげさまでいろいろと有用な情報をゲットしました。近いうちに情報を活用した研究例を明らかにしたいと思っています。


写真2 勉強会の風景


図3 大河内城跡の縄張り(山本裕之氏の論文:中世城郭研究から引用)


マムシ谷入口(矢津川)

大堀切(j) の最深部分(4m)

(j) の上14の一部

(14)で見つけた不思議な穴

小堀切(i) 奥の黒いところ

土塁(8)の一部?

さらに奥に続く曲輪(5)?

(j)にある石つぶて置き場?

最近の大河内城跡の現状を少しでも伝えることができたら幸せです。