忍者研究報告(烽火研究)能古島に烽台を訪ねて

2017.8. 5

                                 

社会連携特任教授 加藤 進

 8月5日(土)に訪問したかった能古島(のこの)に渡りました。博多から地下鉄で姪浜(めいのはま)でおり、市営の渡船場だフェリーに乗ります。わずか10分でお目当ての島につきました。実は1981年11月30日の西日本新聞によると対馬~大宰府を結ぶ太古の烽火リレーの実験が29日に観光目的で実施されています。検証ルートの地図を図1に示します【江口春太郎、花火ものがたり(中日新聞社)より引用】。

17080501.png                                                 図1 

時間の都合で行けませんでしたが金印の出土した志賀島(しかの)はすぐ近くに見えました。この報告によると能古島で中継された烽火は志賀島で再度中継されて九州本土の油山に送られ、天拝山で中継されて大宰府に至ったようです。残念ながら当時を忍ぶ資料は残っておりませんでした。しかし、能古島博物館の鈴木氏の案内で展望台(パーク内)に行き、壱岐あるいは対馬の烽火台を参考に復元した烽火台を写真1に示します(余談になりますが我々の回りでは烽火台、狼煙台が一般的ですが、ここでは烽台になっています)。直径が3m程度で高さが1.5mの石組で、中央が空洞で、焚口が開いている構造です。浅学ですが、恐らくは当時の朝鮮の烽火台の形状を引き継いでいるのではないでしょうか?このレプリカを作るためにここを掘ったところたくさんの消炭が出たというお話でした。カシミール3Dで能古島~志賀島の距離を見ると約6kmあります。周りは海ですから煙を遮るものはありません。十分見える範囲です。志賀島を写真2に示しました。現在は陸続きで、車でも渡れるのかも知れません。写真3は能古島の正面に見える玄海島です。距離は10kmです。海上の視認距離は海水の温度や風にも影響を受けると思いますが、陸上よりは伸びるのではないでしょうか?烽火台を求める旅はまだまだ続きます。

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烽火台の写真 (写真1)

       17080502志賀島.jpg    17080504玄界島.jpg

               志賀島(写真2)    玄界島 (写真3)