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ふたたび高城城跡、枳城跡と伊勢寺城跡を訪れる

加藤 進 社会連携特任教授

 3月16日は高城城跡、枳城跡と伊勢寺城跡を訪問しました。高城城跡の縄張りは図1のとおりです。改めて、東側の食線的な虎口(写真1)と西側(白米城側)の曲がり虎口(写真2)の対応は異様な感じがします。


写真1と図1


写真2

高城城跡の主郭B)にはくぼ地が沢山あります。西側の土塁を盛るのに使用したかも知れません。三重の中世城館の縄張り図では北側に堀切(AとB)が2つ記されていますが、今は荒れておりなかなか行きつくのは難しそうです。  次は枳城跡です。伊勢道を超えて、みかん畑から登ります。大日山(写真3)の上にあります。尾根筋を登って行くと堀切があります。堀切Aを通って腰曲輪を右に行き、さらに堀切B(写真4)を通って主郭に登ります。単郭の単純な城です。

ちょうど白米城が見えます。距離は約1kmです。主郭には大日像と浅間さんが祭られています。昔は浅間さんを祭る竹の長さが数メートもあったようですが寄る年波には勝てず2mくらいでした。


写真3


写真4 縄張り図(枳城跡)と北堀切(A)

さて、最後は、伊勢寺城跡です。この城を攻めるのは4回目ですが、また帰りに迷ってしまいました。伊勢寺城跡は地元の方でも存在を知らないことが多い。しかし、登りの坂道は急では無く、運動靴でも攻めることができる山城の一つです。トラックに沿って登ると堀切A(写真5)が出迎えてくれます。それほど広くない曲輪は3つあり、この堀切に土橋がかかっています。土橋(写真6)をわたって次の曲輪にいきます。そうしてより比高のある主郭に上がります。主郭の下降りるとやや埋まっていますが堀切が二つあります。写真7と8これは「三重の中世城館」には記載されておりません。伊勢寺城跡からの眺めは良好ですが、西~北は木で覆われて見えません。


写真5縄張り図(伊勢寺城跡)と堀切A

なお、縄張り図にはDにも堀切の記載がある(山本氏の縄張りも同様)が、現在では確認が極めて難しい。山本氏は堀切Aを積極的に評価し、主郭にいたる虎口の可能性を示唆している。


写真6  やや壊れたAの土橋部分


写真7 南尖端堀切(C)

写真8 北堀切(D)

南端にある堀切Cは一方の壁が岩盤であり、特徴があります。また、尾根筋をとおると先にもピークが存在するが遺構は無いとのことであった。今回の写真は最近購入したcanonのミラーレスで撮ったものです。なかなか調子が出て気に入っています。

参考文献

三重県教育委員会編、三重の中世城館補遺、1981.

山本浩之、阿坂城・大河内城と周辺諸城について、中世城郭研究、13、p.4-45.1999.

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