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お知らせ

平成28年度第2回森林体験学習会

荒木 利芳 社会連携特任教授
加藤 進  社会連携特任教授

  平成28年11月28日(月)に27名の参加のもと、第2回森林体験学習会を開催した。今回は伊賀中世城館顧問の福井健二氏をお迎えし、大山田農村環境改善センターで「伊賀の山城入門」という演題で講演していただいた。講演の後、現在整備している出後の中野の森に移動し、山の中腹にある岡山氏城跡に登って、環濠などの説明を受け、さらに近くにある永井氏城跡まで足を伸ばし、2つの城跡の類似点や相違点などについて話をしていただいた。当日はケーブルテレビと新聞社の取材を受け、学習会の様子は次の日の朝刊と2日後のテレビニュースで紹介された。三重大学伊賀研究拠点久松副所長の挨拶の後、福井先生の講演では城の文字の成り立ち、すなわち、城は土から成っており、土を掘りその土を内側に盛り上げたことから作られているとのことであった。伊賀の山城は掻揚形式 、切込形式、掻揚切込形式 または削平形式で造られているそうである。福井先生は1974年から今日まで42年間伊賀を中心に城館跡の調査をされており、これまでの調査から中世城館の数は伊賀市に595、名張市に77見つかっているそうである。伊賀地域にこれほど山城が多かった理由としては、この地域には東大寺の荘園が多くあり、伊勢平氏の進出により、伊賀國衆と呼ばれる土豪が現れ、14世紀前半に惣を中心とする地域的な結合が強まり、彼ら土豪が農業経営と共に、外敵に対して武器をとって立ち上がる小軍団を形成し、自領を守るため城や舘を構築するようになったことから、伊賀には沢山の山城が造られたそうである。


伊賀研究拠点久松副所長の挨拶


福井先生の講演風景


岡山氏城跡での集合写真

岡山氏城跡での実地研修

 永井氏城跡での実地研修

 講演の後、岡山氏城跡と永井氏城跡を案内していただいたが、この実地研修の様子については同じく山城を調査されている加藤先生から詳しい報告を寄せていただいたので、以下にご紹介します。

岡山氏・永井氏城跡を巡る(現地見学会)

 11月28日は、大山田で福井健二氏の講演会「伊賀の山城入門」を拝聴してから福井氏の案内で近くにある岡山氏城跡と永井氏城跡(出後)を訪ねた。「伊賀の中世城館」から縄張り図を引用すると図1と図2のとおりである。両者まったく形状を異にする伊賀の典型的な城跡である。岡山氏城跡は、虎口を有する単郭構造で、頂上側からの侵入に備えて2条の堀切(写真1)を切りこんだ山城で、主郭の回りに土塁の確認は難しい。これに対して永井氏城跡では、主郭以外にも複数の曲輪を有し、特に主郭?の回りの土塁の高さは数メートルで屈指の高さを誇っている。土塁(A)を登ると、眼下に空堀(B)が確認できる。今回の講演会と現地研修会でやっと堀切と空堀が区別できるようになりました。恐らくは、赤目の柏原城跡の回りを取り囲む部分も空堀と思われます。写真2はAから見た空堀Bです。実際にはもっと深く、

迫力があります。

 岡山氏城跡の見どころは何といっても南側の2条の堀切です。写真1をご覧下さい。2つの谷間が確認できると思います。最近、現地研修会で専門家に解説をしていただく機会に恵まれて、少しずつはありますが目が肥えてきました。

写真の撮り方もゆっくりですがわかってきました。主郭の大きさも両城(写真3と4)で比較したいものです。


図1.岡山氏城跡

図2.永井氏城跡

写真1.岡山氏城跡の南側の2条の堀切

写真2.永井氏城跡の土塁Aからみた空堀B

写真3.岡山氏城跡の主郭

写真4.永井氏城跡の主郭

 最後になりますが、本日のtrack(図3)を示しておきます。大山田支所?岡山氏城跡?永井氏城跡です。城の配置から、街道を2地点で監視していた状況が良くわかります。このような山城の配置は松阪の宇気郷地区でも発見するこ

とができます。お寒い中ご案内くださった福井先生、参加された皆様にお礼申し上げます。


図3.大山田支所~岡山氏城跡~永井氏城跡へ

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