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【忍者研究報告】烽火台を求めて再度髭山を攻める

3年前に宇気郷の髭山(写真1:遠景)に登りました。今回は松阪山城会の例会(11月16日)です。参加者15人。会長は体の養生のために欠席でした。Track部長の門山会員が地図を作成、やく90分で山頂に着きました。髭山は多気(たげ)の霧山城跡からの烽火を松阪方面に中継したといわれている烽火台です(一志郡史)。

髭山遠景01.jpg  髭山図1.png

(写真1)                  (図1)

ここから黒米城跡にさらに中継されるわけです。残念ながら後世の手が入りコの字型の烽火台は石で補強がなされています(写真2)。計測結果をメモしておきます。一辺の長さが約3mの方形で、開口端は南向きです。釜の高さの深いところでは80cm(埋もれているが)くらいあります。大きさから言えば中規模といえそうです。伊藤徳也氏提供の縄張り図(図2)も上げておきます。堀切に類する遺構は全くありません。烽火台の下部を取り巻くように腰曲輪的なでっぱりがあります。

烽火場02.jpg   髭山図2.jpg

  (写真2)                    (図2)

 今日は、風がありましたが快晴で、白米城跡を確認できました(写真3)。前回の報告時よりも勉強が進み、南方向に白猪山がくっきり見え(写真4)、雨乞い山も林間からかすかに見えました。飯南郡(深野)の伝承ですが白猪山の横の尾根に烽火台(深野地区)があったといわれています。

髭山から白米城を03.jpg   髭山から白猪山を03.jpg

(写真3)                    (写真4)

また、地図をみると霧山城跡と髭山の中間に雨乞い山があります。この山を中継に利用すれば髭山への情報伝達の確実性が向上します(→)。これまでの調査や研究から烽火の情報伝達距離は5km前後と推定しています。ちょうど雨乞い山はぴったりの中継点です。松阪山城会の精鋭で何とか調査を実施する予定です。

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