伊賀サテライト三重大学地域拠点サテライト
伊賀連携オフィス・伊賀研究拠点
お知らせ
再び黒米城跡と柚原城跡(ゆのわら)(忍者のろし研究)
寒さをついて松阪山城会で以前に訪問した黒米城跡と柚原城跡の再調査(12月13日)です。その理由は、
①黒米城の頂上の広葉樹の葉が落ちて髭山の確認の有無、
②烽火場的地形の確認です
Trackルートは図1のとおりで、後山ルートは急峻なので捨て、柚原城跡から登り、尾根沿いに攻めました。柚原城跡は単郭の小規模な山城ですが、帯曲輪と堀切が残っています。特に、黒米城につながる尾根側に深い堀切Bがあります。途中に短距離的な通信に向いた烽火台らしきマウンドが見えます。また、戦後は食糧難か?尾根沿いに歩くと写真1の水場あるいは肥溜めがあり、付近には茶畑らしき跡が見えました。図1からも分かりますが黒米城にたどり着く前に小ピークがあります。ここには残念ながら人工的な加工跡等を確認できませんでした。
図1 トラックルート 写真1 斜面に残る水場(肥溜め?)
黒米城(縄張りは図2)は曲輪Iと曲輪IIからなり、両者は堀切Cで結ばれています。曲輪の大きさは、いずれも約2m×6mで細長い形です。北~北西方向に風化した土塁が数mにわたって確認できます。黒米城の特徴はこのような曲輪の規模に比べて、堀切が大きく・深いことで5か所あります。特に直前の堀切Aの切岸は5~6mで幅が1~2mあり、大河内城跡の大堀切Eをしのぐ規模に驚きました。今回は期待したように広葉樹の葉が落ちて髭山の確認(写真2)に成功しました。また、写真3はカシミール3DによるCGで作ったものでよく一致しています。残念ながら堀坂山方向の視界は木々に覆われて皆無でした。これまでここで議論したように、堀坂山、髭山と白米城等の結果から、木々の繁茂で視界が無くてもCGでこれを推定することは十分可能との確信を得ました。
図2 縄張り図(松阪山城会) 写真2 黒米城跡から見る髭山 写真3 カシバードで見た髭山(高度8m)
ゆわゆる烽火場に特有の円形マウンドは黒米城には確認できませんが、微かに残る土塁が風よけで、曲輪の一部を使った細長い形状の烽火場かも知れません。古老によれば、この辺りを"烽火平(のろしだいら)"と呼ぶようです。なおここで用いた堀切等の記号は去年出版した「松阪の城50選(松阪山城会編、2019)」によっています。
アーカイブを表示