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狼煙研究 白米城跡(松阪市阿坂)からの烽火実験(その2)

H30年2月16日(曇り)に去年に引き続いて2回目の発煙筒を用いた烽火実験を松阪山城会で行った。今回の目的は、5~7km範囲に観測点を設置し、①旗の有効性の再確認、②水平的な観測範囲の確認、③白米城跡で烽火をあげた後、3km離れた地点(ベルファーム近く)から応答の烽火をあげて白米城跡で確認(双方向通信)する、④付近の小学校(阿坂小学校=1.6km、伊勢寺小学校=3.5kmと中原小学校=3.5km)の協力を得、昔の通信として総合学習に反映することである。

.当日の気象・大気環境

 残念ながら当日は曇天で綺麗な写真は取れなかったが、いろいろな成果を得たのでここにまとめておきたい。烽火実験では当日の気象条件と大気環境が大きく左右する。当日の条件を以下に示した。

気象・大紀データ.jpg

気温は5℃以下で、湿度は60%前後であった(温度トリによる)。主風向はNであった。風速は0.1~0.8m/secであった。松阪のSPM(三重県)データは欠測で、明星小学校の値であるが、冬の値である。

2.烽火実験

2.1烽火と旗の確認

今回の実験では9:00から白旗を振って、実験の合図を行った。ついで、発煙筒(2本)を用いて、烽火をあげた。目視・写真で判断する限りでは7km程度までは容易に確認できたことを再認した。

18.02.15松ヶ崎公園(松ヶ島城北市場跡)旗振り01.jpg 写真2松田稔2-1松阪城②02.jpg

写真1                        写真2

写真1は松ヶ崎公園(7km、門山会員)ならびに写真2は松阪城跡(7km、松田氏)からの結果である。旗も煙も確認が容易である。同様に御殿山(自宅、7km)でも筆者の妻が目視で確認した。

写真3 枳城跡を見る03.jpg

写真3

今回は支城とされている枳城跡(1km)にも協力者が待機、手を振って確認を行いながら烽火の確認も行った(写真3)。1kmでは協力者の姿を目視で容易に確認できることもわかり、1km程度の距離は支城として重要であることがわかった。もうひとつ高城跡(1km、支城)が存在するが全体を雑木が生い茂り利用は不可能であった。

2.2双方向通信

10分間発煙筒を焚いてから、応答の烽火を待った。白米城跡と応答点の断面を図1に示した(カシミール3D)。図1から付近に視界を遮る物は存在しない。この実験でいろいろと重要な知見が得られた。

04.jpg

写真4

①事前に確認の時間、方法を検討したにもかかわらず、煙の確認に10分程度かかった。この理由は、付近で野焼きや煙突があり、応答地点以外の煙に惑わされた。たとえば、写真4は紛らわしい煙の例である。江戸時代の指南書、養老軍防令には烽火をあげる場合は付近で煙をあげてはいけないの記述があり、うなづける注意である。

図1.png

      図1 白米城跡と応答点の断面

②平地では櫓等を組んで煙をあげないと、高さが稼げない。したがって、煙が平面的にひろがるので山上からは確認が難しい。写真5は発煙筒を4本使った場合で、あたり全体が白くなっていることがわかる。写真5 水平に広がる05.jpg

写真5

③発煙筒を利用する現在の実験では煙の色は白である。これに対して燃焼に由来する煙は水蒸気を反映した白のほかに材質によって黒色、灰色の色も発生する。色の相違によって現在では区別が可能と判断した。しかし、往時では発煙筒は無く、烽火由来の"煙"と野焼き等の"煙"の区別は離れると難しかった可能性がある。

2.3総合学習への展開

 今回もH29年度と同様に、烽火(加藤)、山城(松本)ならびに火器(荒木)について出前授業(写真6)を行った。当日に屋上等で烽火を観察、感想文や振り返りをまとめてもらった。これらの結果は3月19日から3月27日まで、松阪市役所のロビーで展示(写真7)した。期間中に少なくとも50名以上の市民が立ち寄ってくれた。

写真6 出前授業(荒木名誉教授)06.jpg  写真7 ロビー展示07.jpg

写真6                       写真7

振り返りをみると、烽火の材料や上げ方についても記述が認められ、生徒も興味を持って出前授業を受けていたことがわかった。

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