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忍者研究(狼煙)報告  古代山城(さんじょう)研究会に出席しました

ノロシが縁で、古代山城(さんじょう)研究会会長の向井一雄氏(写真1)と知り合いになりました。

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今回はテーマが「古代山城とノロシ~高速軍事通信の実態~」です。会場は近畿大学(長瀬キャンパス)で9/1~9/2にかけて115人のメンバーで、朝からの大雨にもかかわらず実施されました。伊賀からは寺岡氏、四国から数年前ノロシ場を案内してもらった古野氏、東京であった湯田、仁科氏と懐かしい人々に出会いました。当日のプログラムを表1に示しました。今回は韓国から李先生が参加、李朝時代の韓国のノロシのネットワークについて興味深い発表がありました。会長と李先生の発表をレポートします。

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 向井会長は精力的な現地調査、文献調査等を踏まえた古代烽の総説的な報告であった。特に興味が持てたのは、中世の烽火台にしてもいわんや古代(上代を含む)烽火台は地面に穴を掘ったタイプ(これは場所が特定できれば発掘調査が可能、その結果焦土や炭化物も検出)以外に、移動式の烽火台があったのではないかという指摘だった。筆者も「手筒花火」のような発掘できない移動式の通信方法もあったと考えており、この意見に賛成である。向井氏によれば、

① 竹あるいは生木3本を支柱にして(上で結びつける)、

② 地面より少し上にいまでいうロストル(ストーカ)のようなものを置き、ここで可燃性の材料をまず燃やす(火種)

③ その上に杉、ヒノキ、松(生木)を置いて煙を作る

ものである。

李教授は普段日本ではあまり知られていない、李朝時代の韓国の烽火ネットワークやその形状・構造について詳細な報告がなされた。同教授によれば当該時代に構築されたと考えられる烽は700基近くになり、その400基が南韓に散在することを指摘、それらの具体的な遺構、伝達ルート、種類、構造、烽間距離について報告があった。当該時代には5つの代表的な首都への伝達ルートがあり、たとえば第2ルートは対馬方面からの進入倭寇に対する防備と東南海の長い海岸線の防備が目的で設置されたものである。第2ルートの平均烽距離は9.8~14kmであり、第5ルートでは11~12kmであった。設置高度はおおむね200~400mと比較的低地に設置されていた。烽燧の種類は京烽燧、沿辺烽燧、内地烽燧、權設烽燧・瞭望台に分類され、京烽燧は古い時代に構築された首都への情報集中伝達路、沿辺烽燧は沿岸警備情報の収集路であった。同教授の試算によれば、"烽燧を使った情報の伝達速度は44km/hであり、維持管理に要した人員は80000人"とのことで、莫大な予算が必要であることがうかがわれた。典型的な沿辺烽燧台の模式図を図1に示した。朝鮮の烽燧はかなり頑丈に構築されて、烽燧従事者の住居のほかに、土橋で基壇との間の壕を渡る構造になっている。基壇の上には煙台、さらに煙突が附属する。通常はこの中央の烽燧台が利用されるので規模も大きく、頑強にできている。周りには小振りの煙竃が数個配置されて、沿岸海上状況に応じて数本の烽火をあげることとなっている。

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 図1 典型的な韓国の烽火台の模式図                 写真2 李先生からいただいた烽火台の写真

さらに、教授は烽火台に設置された材料置き場には、馬糞や牛糞、松、柴等の存在を指摘してるがオオカミの糞は記載されていない。筆者の記憶でも中国の文献に牛糞の記載はあったがオオカミの糞はなかった。どうもオオカミの糞は日本で付け加えられたようである。

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