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忍者研究(のろし研究)大河内城跡の見方を学ぶ

さる3月6日(土)、松阪郷土文化会(吉田悦之会長)と松阪山城会(松本薫会長)の合同で、5万~8万人という信長軍にわずか7000~8000の兵で立ち向かい、信長が50日戦っても落とせなかった大河内城跡を訪ねて「信長軍の攻撃に耐えた構造等」について現地で体験説明会を実施しました。

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図1

金曜日の雨の影響が心配でしたが、好天に恵まれて80名以上の参加を得ました。健脚組とゆっくり組の7班に分けて、9:30にスタート、12:30頃に終了しました。今回のコースは図1(山城会門山氏作成)です。特に普段は行くことのない大手口の2つの陸岬、大堀切、礫石置き場、硝煙庫と付属の見張り台等を解説を入れながら回りました。もちろん見張り台からは信長陣の桂瀬山を見ることができます(約2-3km)。桂瀬山にも"信長の腰かけ石"と伝わる石があり、その近くから大河内城を見ることもできます。大河内城跡は筆者が小学生の頃は必須の遠足コースでしたが今は山城の愛好家が訪れるのみです。市外からの参加者は大堀切や弾薬庫の存在に驚嘆の声を上げていました。

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写真1

本丸(写真1)には、記念碑と神社があり、神社には詠み人知らずながら「城跡に拳をにぎる蕨かな」の投句絵馬が飾られています。本丸でこの句を見ると、胸を打つものがあります。また、城主の総大将北畠具教は分武の人であり和歌には、"花に置く露も涙や染めぬらん昔の春をしのぶ想いに"も添えておく。

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写真2

城の面積を考えると7000~8000人は十分収容可能と思われますが、両軍ともに問題なのは食料。大河内城にはお納戸跡があり、台所と食料倉庫があったようです。食料があってもさらに大切なのが飲料水です。幸い水の便はよくお納戸跡付近を数メートル掘れば水が出たようです。伝承によれば3か所に井戸があったようですが現存するのはお納戸跡の付近の1か所のみです(写真2)。

皆さんも是非松阪にある大河内城跡を訪問し、北畠具教をしのんでください。

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