伊賀サテライト三重大学地域拠点サテライト
伊賀連携オフィス・伊賀研究拠点
お知らせ
忍者研究報告(狼煙研究)九(十九)曲城跡を訪ねて
九(十九)曲城跡を訪ねて
社会連携特任教授 加藤 進
飯高のシリーズが続きます。今回は九(十九)曲城跡を訪問しました。この城は、粟野半六郎が城主で、地域人々の信頼が厚かった人物と言われています。階段が整備されていますが、急峻な登りを終わると平坦な尾根道が続きます。標高は250m程度と思われます。トラックルート(図1)と縄張り図は図2のとおりです(三重の中世城館から引用)。形は方形で、城主の性格がしのばれます。登り口付近にやや埋もれた堀切D?があります。すぐに登ると帯状の曲輪③にたどり着きます。この③には大堀切Aがあります。少し埋まっていますが綺麗な堀切です。曲輪②は比較的狭い方形で、さらに登ると半六郎の勇気をたたえた社があり、土塁もある曲輪①にたどり着きます。①には
堀切Bが付随しています。さらにその下には堀切Cがあり、尾根道をたどると現在は閉鎖されてしまった奥香肌キャンプ場に行くことができます。この縄張り図には記入されていませんが、登り口近くに積極評価すると堀切Dを、またキャンプ場への尾根道にも堀切のような地形を見出せます。この城跡の特徴は、北、西、南方向を櫛田川が囲み城跡の天然の堀になっています。防御は東側のみで街道を見下ろせる要害地です。半六郎はこのような地の利を生かして良く戦ったといわれていますが、圧倒的な織田軍のまえに落城してしまったようです。道も整備されており、比較的観察が容易な城跡です。ぜひ皆さんも訪問してください。なお、5月と6月、この調査で2回もマムシを見ました。この時期は、湿地帯よりは石垣近くが危ないようです。注意しましょう!
曲輪③ おお堀切A 曲輪②曲輪①と土塁 曲輪①~から堀切Bをみる
堀切C キャンプ場への尾根道
アーカイブを表示