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忍者研究 のろし台を求めて再び大峯山(伊賀市荒木)へ
10/6日に以前に訪問した大峯山に某社カメラマンと一緒に登りました。この山には北に位置する南宮山から出たのろしを中継し南に伝える大きなのろし台があります。当日の登坂ルートを図1に示します。ほぼ1本道で迷うことはありません。A地点折れる方向を間違えなければ大丈夫。道は明瞭ですが砂地でよく滑るので下山は注意が必要です(要スティック)。
図1
伊賀市史には、3連建てののろし台として記述されています。全体のイラストは図2のとおりです。細かく見るとのろし台間は約10mの距離で、第1基は7mの正方形型、第2基と第3基は2-3mΦです。残念ながら第3基は無線基地の設営のために使用された重機でほとんど破壊されています。でもよくみるとかすかに痕跡形状をとどめています。
図2
第1基と第3基の様子は前回と全く変わっていませんでした。ところが真ん中の第2基は形状は保存されているものの中央部の凹がやや浅くなっていました。土塁~底までの深さは約1.3mでした。こののろし台は南北におおむね一直線状に並んでいます。10mという距離が微妙ですが風の向きや位置によっては1本に見えたり3本に見えたりするかもしれません。残念ながら木々の繁茂で頂上からの見晴らしは全くありません。
カシミール3Dで伊賀市史にある中世城館研究家の寺岡氏が指摘した南宮山~大峯山~城氏城跡(伊賀のろしルート)を見てみると、断面として図3のような結果が得られます。
図3
さえぎるものは無く十分確認ができます。
メモとして第2基の全景を写真1にあげておきます。このように遺構は場所や地質によってドンドン変化していきます。後世に伝えるためにも記憶に残して再度訪れたい場所のひとつです。
私見ですが第1基はのろし台よりは見張り台の「詰め所」かもしれません。松阪には陣穴(山田勘蔵氏命名?)という深穴が信長軍の陣地付近に点在します。
紀伊長島や熊野にあるのろし台(江戸時代)では火種を保存しておく火床ものろし台近くにありますが、大峯山では相当する物は見当たりませんでした。
写真1 のろし台(第2基)
(微かに風よけか?上部に土塁が確認できる)
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